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心理カウンセラーの成宮千織です。いつもありがとうございます。
無関心と過干渉はある意味、同じということを聞いたことがあります。
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私は息子に対してどちらかと言えば、過干渉の母親でしたので、その言葉を聞いた時、納得がいかなかったのですね。だからずっと気にはなっていましたが、見て見ぬふりをしていました。
でも、ちょっとばかりですが、その真実を知ったら「マズい」とも思っていました。
無関心というのは子ども(ここでは子どもですが、大人でも当てはまります)に対して、興味や関心がないということです。これはわかりやすいのです。
一方の過干渉。。。
私の場合ですと、「ハンカチ持った?」から始まり、「幼稚園は楽しかった?」「給食残さず食べた?」「○○ちゃんと何して遊んだの?」「お腹痛くない?」「宿題はやったの?」
質問というようり、尋問を私は息子にしていたようです。息子の行動を予測して先回りして、危険を避けるようにしていました。
そうしていくうちに…息子は誰が見ても、問題のない子に育っていくわけです。それは、息子の意志や力ではなく、大人の私が失敗のないようにコントロールしていたからなのですね。
息子の気持ちは、今になって思えばですが私は無関心でした。当時は「息子のためを思って」…でした。でも、それは事実でもあります。過干渉の親御さんが子どもの気持ちに何の関心もないかと言えば、私は違うと思うのです。
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あれこれ聞く私に、息子は幼稚園の年中くらいの頃から、その日の園での出来事を何も話さなくなりました。それは、中学、高校、大学になっても変わりませんでした。
私のもうひとつの失敗は、「好きなように生きればいいよ」というフレーズ。
これにもトリックがあって、その後に続く言語化されない秘密の言葉は「お母さんの気に入るようならね」
反省点、おおアリですね。
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いつの頃か、私は自分の子育ての何かが間違っていると気づき始めました。でも、でもでもですね、ここでまた、私は大きな勘違いをするわけです。
過干渉過ぎるから、無関心になればいいんだ!と真逆に振るようになったのです。高校生くらいから私は息子に何も聞かない、口を出さない母親になっていきました。
今、息子は27歳になり、同じ都内で一人暮らしをしています。でも、私は息子の家に一度も行ったことがありませんし、どんな暮らしをしているのかもほとんど聞きません。
無関心にも「それもおかしい」と気がついていたので、ちょっと都合のいい言葉に聞こえるかもしれませんが、「信頼」にかえていきました。
過干渉と無関心。両極に振り切って真ん中に落ち着いたという感じです。何かあればこれまでのように親を頼ってくれると思っています。
明日は息子が家に来るので、この時ばかりは息子の好きなものをたくさん準備しようと考えています。