MENU
成宮千織(なるみやちおり)
心理カウンセラー
   「私はあなたの居場所になりたい!」

    カウンセリング予約センター
    受付時間:12時~20時半
    定休日・月曜日 他
今すぐ予約する >> TEL:06-6190-5131

コラム「求めてももらえない辛さと絶望…。怒り狂った先に」

心理カウンセラーの成宮千織です。カウンセリングサービスでコラムを掲載しましたので、こちらにも載せておきます。

その前に前置きとなります。

コラムを書くのは久しぶりで、何を書こうかな?と考えていたんです。自分自身が乗り越えてきたこと、成長したことを書いた方が、わずかでも皆さんの役に立てるのではないかと、母のことを書くことにしました。

「許しは人のためならず」弊社社長の平がよく言っていますが、許しは誰のためでもなく自分のためなんだと今は思うことができます。でも昔の私はそんなふうに全く思うことができず、「許せないものを許すことがどれだけ難しいか、きっと平さんはわからないんだ!」と反抗心バリバリでいました。

コラムを書きながら、そんな当時の自分を振り返って懐かしく思うのとともに、あのままの自分でいたら、今の自分はないわけで、少し怖くもなりました。

生きづらさの原因はいろいろあると思いますが、私は母への怒りでした。母だけに怒っていればいいものを、人の心はそうではないのですよね。あらゆる人の中に母を投影して、あの人も嫌い、この人の言い方は傷つくと、周りの人に怒っていました。

周りが全員 敵のように感じていました。私の味方はペットの犬だけと思っていました。それでは生きづらさが増すばかり。だったら、その母への怒りをどうにかすればいいと思い、許しの実践をはじめていったのです。

今日中に体重を10キロ減らしなさいと言われても不可能ですが、許せない誰かを許すことはやりたくはないかもしれないけれど、できなくはないんです。やる気があれば、できる、かもしれません。

それで、今よりもちょっとだけ生きやすくなったら?、楽になったら?、幸せを感じる時間が増えたら?被害者の立場は力をなくしています。そこから脱出して、自分の力を取り戻せたら?どんな世界が待っているんだろう?そんなふうに興味を持ったんですね。

許すことは簡単なことではないと思います。許しても許しても怒りがわくことがあります。何度も許しは必要なんですよね。でも、許せば未来は明るい。そう確信できたから、皆さんにお伝えできることもあるのではないかなと思っています。

下の母と娘が手を繋いでいる写真。私は母と手を繋いだ記憶がないので、あまり想像ができず影にしました。今でも仲のいい親子が羨ましく思います。「欲しくても手にいれられなかったものは、自分が与える才能がある」といいます。私は誰かの手を繋いであげたい、そう強く思います。

では本編です。

先日、実家に帰省し5日間滞在しました。半年ぶりに会う両親は変わらず元気そうで、安心しました。特に母は80歳を超えても自転車に乗り、買い物へ出かけています。「お母さん、絶対に100歳以上生きそうだよね!」と話していたくらいです。

+

私は母との関係に葛藤を抱え、私の人生がうまくいかないのは、全て母のせいと本気で思っていました。ただそれでは生きづらさはいつまでたっても変わりませんでした。

行き詰った私は、人生を変えたくてカウンセリングサービスの母体となる神戸メンタルサービスのヒーリングワークを受講することにしました。母を許し、自分を許す。そのおかげで前とは比べものにならないくらい生きやすくなりました。

それでも未だに母の言動にカチン!とくることがあるのです。それは私の未熟さ故のことではありますが、こればかりは反射反応ととらえ、仕方がないなと自分を許しています。ただ以前と大きく変わったことは、いつまでも母に怒りを抱えていないということだと思います。

それができるようになったのは、思ったことを母に言えるようになったからです。昔の私は母の言葉に深く傷つくことがあっても、グッとそれを飲み込んでいました。それは言い返せば、何倍、何十倍にもなって返ってきたからなんですね。これ以上傷つきたくはないので、私は黙っていることを選んできました。

母からみれば、私は反抗もしない、おとなしい娘くらいの印象だったと思います。子どものころから、ずっとそうでしたので、母は私には何を言ってもかまわないと思い込んでいたのかもしれません。

+

数年前、私は母に対する怒りがパンパンに膨らんで、パチン!!と何かが破裂するような感覚に陥りました。「もういい加減にして!」って。これは長年積もり積もったものなので、相当なエネルギーになっていたと思います。

これまで言えなかった不平不満を、昼も夜も何日も狂ったように母に言い続けました。見たことのない私を見て、両親は私の気がどうにかなったと思ったようです。私の怒りと我慢は限界に達していました。

+

産まれたときから、親のことが嫌いな子どもはいません。嫌うどころか、大好きなんですよね。自力で生きていけない子どもには世界の全てが親ですし、子どもからは、親は何でもできる完璧な人に見えるのです。

私も子どものころ、お母さんのことが大好きだったと思います。経済的には不自由なく育てくれましたし、まったく愛情がなかったわけではないんです。ただ、私が求めていた愛の形ではないことが多かったということだと思います。

求めてももらえない辛さと絶望…。怒りは感情の蓋といいます。蓋の下には「私のこと愛してよ!」「助けてよ!」「なんでわかってくれないの?お母さん!」そんな悲しみがいっぱいあるのです。それを感じることが辛いので、怒りで蓋をしてしまうのですね。

+

そんな怒りの爆発からしばらくたったころ、母に「私、子どものときから、お母さんに言い返すことってなかったでしょう?だからあれは、何十年分の言いたかった言葉だよ。」と言ったんです。すると母は「そうね…」とポツンと答えました。

本当はその後に、「やっとお母さんに、言いたいことが言えたんだよ!」そう伝えたかったのですが、涙があふれて言えませんでした。

その後の母と私です。母は私に対して以前よりは気をつかってくれているようになりました。私は私で以前できなかったことが素直にできるようになったんです。今回の帰省では、母の好きな小粒のみかんを買い、韓国ドラマをテレビでみられるように設定してきました。

心理学に「補償行為」というものがあります。これは文字通り「補う・償う」という行為です。補償行為は悪いことではありませんが、やってもやっても満足感や達成感がないんです。私が母にしていることはご機嫌取り(補う)や罪滅ぼし(償う)ではなく、私の中の葛藤が減っていったことで、本当にしてあげたかったことを素直にできるようになったんだと思います。

実際に母がどう思っているかはわかりませんが、「私がしたいからやる!」ただそれだけで満足なんですね。ここまで読んでくださった方は、仲のいい母と娘のように感じられるかと思いますが、母は母のままで、今もこの先も私が欲しいものはきっとくれません。

物もお金も愛情も、あげたくても持っていなければ人にあげられないんですね。だったら、持っている人が余っている分を少しだけあげればいいと私は思っています。

+

私のやり方が決していいとは思いません。限界に達する前にちゃんと話すことができたら、あんな怒りの大きさにならなかったのになと思います。皆さんもこれを反面教師として、怒りが限界点に達する前に、怒りの解放をして欲しいなと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。皆さんに心が少しでも安らげますように。