カウンセリングサービス、心理カウンセラーの成宮千織です。
私は長い間、母から愛されていないと思って生きてきました。それは、「お母さんは私の気持ち全然わかってくれない」と思っていたからなんです。
子どもながらに、何か助けになることはないかと自発的に母のお手伝いをしたことがあったのですが、喜んでもらえるどころか、「そんな余計なことをして」と怒られてしまいました。
それは確かに母の望んだことではなく、私が勝手にしたかったことなので「余計なこと」だったかもしれません。でも、その行動よりも「役に立ちたかった」という気持ちの方をくみ取って欲しかったんですよね。
私はとても傷つきました。二度と母の役に立とうなんて思うものか!そう思ったのですが、記憶力のない私は今もせっせと母にとっては「余計なこと」を繰り返しているような気がします。
子どもの頃と違うのは、そこに母にわかって欲しいとか感謝して欲しいという気持ちがなくなり、私がやりたいからやってるになったことです。母の反応で一喜一憂することはほとんどなくなりましたね。
そして、あんなに憎くてだいっきらいな母のことを好きだったんだと、自分で認められるようになりました。前はめっちゃ抵抗はありましたよ~
今はとても思えなくても、私たちは子どものころ、親を助けたい、親の役に立ちたいと思っていたようなのです。
子どもには大人の都合はわかりません。大人も子ども時代を経験してきたのに、子どもの頃の気持ちを忘れてしまいます。
あなたは、子どもの頃に「お母さんは私の気持ちわかってくれてない」と感じたことはなかったでしょうか?そしてこんな気持ちを長い間、心の奥にしまいこんでいませんか?
- いつもさみしかった
- かなしかった
- もっと話を聞いて欲しかった
- 私の気持ちをわかって欲しかった
- 優しくして欲しかった
- 抱きしめて欲しかった
子どもの頃のニーズ(欲求)をたくさん満たすことができていないと、大人になった今でもずっと心に抱えてしまっていることがあるんです。
もう30歳なのに?いえいえ、40歳でも50歳でも60歳でも抱えているってこといっぱいいっぱいあるんです。それは喉から手が出るほど欲しかったものだからなのですね。
ふっとした瞬間に寂しさや孤独を感じるとき、それは今のあなたのものでもあるのですが、遠い昔の子どものあなたが感じていた感情がミックスされているかもしれません。
そして、私の気持ちをわかってあげられないと、誰かに私の気持ちをわかってもらいたくなるものです。
私はクライアントさんの気持ちに寄り添い、一番の味方でいたいと思っています。それは、私がさみしさをたくさん感じて生きてきたから。
今は一人でいても以前より、さみしさを感じることは少なくなりましたが、それでも時おり感じるさみしさが全くのゼロになることはないと思うのです。
そんな私だから、世界中の誰が何と言おうともあなたの一番の理解者で味方でいたいと思うのです。
応援しています。