心理カウンセラーのの成宮千織です。
この世のものは願ったとしても、なにひとつ同じ状態ではいられないといいます。物質的なものも、人の心も、年月がたてば必ず変化していきます。
母親を許す、私には一生できっこないと思っていました。親を許した人の話しを聞くと、「きっとそれほど悪い親ではなかったから許せたんだ」と、私の親とは全然違うと思っていたのです。
私の母親は特別で、そんな母親に育てられた私も特別かわいそうな娘。今考えればもっと苦労している人は世の中にたくさいることはわかるのですが、当時の私はこの世の中で一番不幸な娘くらいに思っていました。
母が介護状態になったら、私が言われてきたことや、されてきたことを母にするんだ!とバリバリ復讐心を燃やしていた時期もありました。
たとえば、こんな言葉を母にいうつもりでした。
わがまま
そんなこともできないの!
私が傷ついていた言葉を、弱った母にぶつけたら当時の私の気持ちが母にもわかると思ったのです。
怒りは第二感情といいます。本当の気持ちは第一感情にあるといいます。それは、
「わかって欲しい」
「助けて欲しい」
「愛して欲しい」
という切ない私の本音です。
母にぶつけたかったのは、「そんなこともできないの?」「わがまま」ではなく、「私がどれだけ傷ついたのかをお、母さんにわかって欲しかった」ということだったのです。
そんな私の気持ちが変わり、母を許そうと思いはじめたのは、これまでの人生がとてもしんどく、この先も変わらず同じだとしたらもう生きていたくないと思ったからでした。
これまでやっていなかったことで、やれることがあったら何でもやってみたいと、思いついたのが母を許すということでした。
被害者のポジションから抜け出そう
当時読んでいた本にこんなことが書いてありました。
「親を許せば人生はイージーモードに変わる」
本当にそうなんだろうか?と疑いながらも試してみたくなったのです。
私は30代のほとんどをうつ状態で過ごしてきました。うつになったのは母が原因ではありませんでしたが、心の中では「母が愛情を注いでくれなかったからだ」と母のせいにしていました。
うつが治ってから、夫と不仲になり離婚寸前までになりました。これまたあんな母だったからだ、と。
あるとき、また本かネットかを読んでいると、「子どもは自分を不幸にして、親に復讐をする」というフレーズに目がとまりました。自分の人生を犠牲してまで、壮大な復讐といえますね。
母を責めてさえいれば、自分自身を責めなくてもいい、でも母を責めた分だけ結局、心の奥底では自分自身を責めているのです。それがとても辛くて苦しいんです。
「あーたしかにそうだったかもしれない。」でも、それを認めたくもありませんでした。なぜなら、もう幸せになるしかない!と思ったからなのです。どれほど私は幸せになることが怖かったのかその時、はじめて気づきました。
人間が一番怖いのは、不幸になることではないようです。一番怖いのは「私が救われること」なんだそうです。
それからしばらく、この復讐のフレーズが頭から離れませんでした。
母を許そう、、、
そうはいっても当然、簡単にはいきませんでした。母は母のままです、だから私が変わる必要があるのですが、どうしても「母が悪いのに、なんで私が?」という思いが出てきてしまいます。
この被害者のポジションから抜け出さなければ、許すことなどできません。
私はカウンセリングサービスの母体の神戸メンタルサービスで心理学を学びはじめていました。
神戸メンタルサービスで学ぶ
神戸メンタルサービスのセミナー、ヒーリングワークや心理学講座で学んだのは、「許しは大きな愛になることを自分を許すこと」「許しは人のためならず」などでした。
頭でわかっても心が全然ついてこないんですよね~。頑張って母に近づいても、すぐに母とバトルとなり、殺意すらわく。そして毎回のように自己嫌悪に陥るのでした。
そんな、「すぐに母を許せる方法」を探し求めてさまよっていた時期が何年もありました。でも、残念ながらそんな魔法のようなものはありませんでした。
そんなとき、私にこんなことが起きました。
許しのタイミングがくる
私の飼っていた犬が介護状態になり、私は夜もまともに眠ることができなくなりました。夫は単身赴任で北海道にいます。頻繁に帰宅できない状況でした。
私は外出もままならなくなり、フラフラになり、老犬と共に実家の世話になることにしたのです。私は試行錯誤を繰り返し一旦は母を許せたものの、神様のお試しか、母と人生最大のケンカをした後でした。死んでも帰りたくない実家でした。
また、私は家の事情で私は親と小5から暮らしていなかったので、何十年かぶりに親との暮らし、苦行の始まりとなったのです。
老犬が落ち着くまでと思っての同居でしたが、結局、老犬が亡くなるまでの9ヶ月間、実家で暮らすことになりました。その間、何ごともなく過ごすこともありましたが、怒りが爆発してこれまでになく両親に暴言を吐くこともありました。
そんな両親との生活の中で、私はほとんど親に自分の気持ちを言ったことがなかったことに気づきました。そして私は母のこともほとんど知らなかったのです。
母を理解したい
母の話は
・若いころに登山が好きで、日本のあちこちの山を登っていたこと
・遠距離で交際していたカレ(私の父)に会いに行った帰りの夜行バスで、隣の男におしりを触られたこと
そんな昔の話しを私は興味深く聞いていました。
両親はお見合い結婚で、母は住み慣れた土地を離れて父と姑との暮らし。自営業で休みもほとんどなく働き、私たち3人の子供を育てた母。母なりに悩んだこともあっただろうなと、だんだんと母のことを理解する気持ちに変わっていったのです。
母のことがわかってくると、子どもの被害者のポジションから私は対等な大人として母と接していることに気づきました。
気が強くヒステリックで、自己愛に問題があると勝手に母を分析していた私でしたが、実は優しい面もたくさんあるんだなと、心から母を許すことができていきました。
実際には、「許せた!」と達成したようなものではなく、母のことを必要以上に考えなくなったという感じです。
許しというのは他に、「緩む」という意味もあるようです。固い瓶のフタを開けるときに、ゆっくりゆっくりフタが緩んでいくイメージです。すぐには開かないフタも何度もチャレンジしていけばいつか開くのですよね。
カウンセラー同士で話していても、タイミングってあるみたいなんです。動かなかったことがスルスルと動くタイミングです。今すぐは無理、でもいつか「許したい」。それを心から願っていると、人生にはそのタイミングが訪れやすいということなんですね。
そして、私の人生がイージーモードになったかというと、日々いろんな出来事はありますが、心に重いものがひとつなくなったことで、前よりも気楽に生きられるようになったような気がします。