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私は、ブログのネタが浮かぶのは、目が覚めるか覚めないかくらいのまどろんだ時にぼんやり浮かんでくるのですが、だいたいスマホをさわるか、そのまま2度寝をしてしまい完全に忘れてしまいます…
今朝は5時前にいつものように浮かんできたので、思い切って起き上がりパソコンに向かっています。皆さま、おはようございます成宮千織です。
私はかなり長い間「●●さえ手に入れば、幸せになる」「●●さえあれば、他の問題は気にならなくなる」と真剣に思っていた時期がありました。
この●●に入る特定の言葉っていわゆる【執着】と呼ばれるものなんですが、人によっては、お金、健康、人、物、結婚、環境などが入るんじゃないかと思います。
「執着は手放せば手に入る」と、耳にタコができるほど聞いてきましたし、私もここに書いてきましたが、ゴミを見つけて捨てるくらい簡単に捨てられるモノならばそれは執着と言えるんだろうか?と思うわけです。
執着するくらい好き!
執着は悪いことではないと思うのです。それは、「よし!執着しよう」と頑張って執着するモノじゃないからなんです。
気づいたらそれに夢中になっていた。頭の中はそれでいっぱい。こんな状態だと思います。
執着するモノって、自分のその時、その瞬間に絶対に必要だと思っているモノなのですよね。つまりそれくらい大好きなモノなんです。簡単になんて手放せませんし、自分の意思でコントロールできるならば、人生に悩みはほとんどなくなると思うのです。
ですので、執着自体は何も悪くはないんです。多かれ少なかれどんな人でも執着はしているのですからね。執着が問題になってくるのは、そこから「苦しみ」が生まれる時だと思います。
例えば、パリが好き!パリに行けたら幸せ!でもお金がない。。。だったらたくさんバイトしてお金を貯めていつか必ず行こう!執着は時に夢になったり目標になることもあります。つまり原動力になるんです。
でも、お金もない、時間もない、何の手段もないけど、どうしても今すぐ行きたい!となったらそれは、苦しみとなるわけです。執着自体は悪くない、でもそこから生じる苦しみはできれば取り除きたいと思うのです。
執着を手放すには
以前にも書いたと思うのですが、執着を手放す方法は世の中にたくさん出ているので、自分に合った方法をまず試してみるのがいいかなと思います。
私が試していることは、「とことんやり尽くす」ことなんです。飽きるほど夢中になる。それに向けてやれることをやってみる。ただ、それにはひとつルールを決めていて、自分も人も物もできるだけ大切にするということなのです。
よく、「元カレが忘れられない」というお話を聞くことがあるのですが、元カレのことを考え尽くしてみるというものいいかなと思います。
「いえ、私はいつも考えています」とおっしゃってくださる方も、意外と考えていなかったりします。ご飯を食べている時、トイレに入っている時、友達と会っている時、実は忘れている時間はご本人が思っている以上にあるのです。
試しに、「元カレを思い出した瞬間」に毎回、気づいてみてくださいね。その思い出す1秒前まで忘れていたことに気づくと思うのです。私たちは長時間、集中して同じことを考えることができません。
1時間でも2時間でも集中して考え尽くす。それを繰り返していると、だんだん考えることに飽きてきます。さぁ、これから2時間、う~ん面倒だな~と思えてきます。私はそうです、でもやります。が、挫折します途中で、お腹すいたからお菓子ないかな?とか考えてしまっています。。。
「中途半端に持ち歩いているから、忘れらない」と聞いたことがあります。いい具合に他ごとに集中してしまい、また気づくと執着していることを考えて、また飽きたら他ごとに。。。これをしていたのですね。ある時、この私の執着って暇だから考えてるの?と思ったことがあります。
手に入らなかったモノは、必要がなかったモノ それでも…
結局、私の「●●さえ手に入ったら」と思っていた●●は手に入らなかったのですが、今になって思えばどちらでも良かったなと思います。(この、手に入っても、手に入らなくてもいいという状態が執着を手放した状態です)
手に入ったとしても、また違う執着や悩みが生まれてきます。「●●さえ」の何かさえあればは幻想なんですね。その時は、幻想と心のどこかでわかっていても認めたくないんです。認められなかったのです。なぜなら、その時はそれがとても大切で必要だと信じていたからなのですね。
執着はあまりいいモノではない、どちらかと言えば、厄介者あつかいされがちですが、人生に無駄なものはないという言葉を採用するならば、執着していたモノはその時は必要だったのではないでしょうか?
ですので…
執着するほど好きになれるモノができたことに、フォーカスしてみてはどうでしょうか?単なる苦しみにしてしまうのはちょっともったいない気がするのですね。執着していた(いる)その対象ではなく、そこにかけていた「私の情熱や愛情」の方を見つめてみるとどうでしょうか?
ちょっとそれまんざらでもないと思えませんか?
応援しています!