はじめまして、成宮千織(なるみやちおり)です。数多くのブログの中から、私のブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。私は2019年からカウンセリングサービスで心理カウンセラーをしています。
今、このブログを読んでくださっている方の中には、とても悩んでいたり、苦しみの中にいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
諦めなければ何歳になってもやり直しがきくといいます。それでもできれば一日も早く悩みや苦しみから解放されて、今よりも楽に生きたいですよね。
私自身、悩み苦しみ、かなり遠回りをしてきた気がします。こんなに長く時間をかけずに、みなさまには早く幸せになって欲しいと願っています。
居場所のなかった私の心
私は幼い頃から、「私には居場所がない」と思っていました。居場所というのは物理的な家、学校、職場などではなく、ありのままで安心していられる心の居場所のことです。
私の両親は自営業を営んでいたのでとても忙しく、下に歳の近い弟と妹が次々と産まれ、幼少期から自分のネガティブな感情は自分でなんとかしなければなりませんでした。でも小さな子どもにそれはとても難しく、いつしか空想の世界に心の居場所を見つけるようになりました。
私には今のお母さんではない、いつもそばにいてくれる優しい本当のお母さんがいる。そんな理想の母親像を心の中につくって安心感を得ようとしてきました。
大人になってからは、無価値感からいつも誰かの役に立っていないと、ここにいてはいけないような気持ちになって、常に自分の気持ちを後回しにして私以外の誰かを優先してきました。
そんなことをしているうちに、私の心はだんだんと壊れていきました。
物ごごろがつく頃にはその生き方をしていたので、何がいけなかったのか?私には最初さっぱりわからなかったのです。ただ母に対する怒りだけははっきりわかりました。
「私がこうなったのは、お母さんのせいだ」と思っていたのです。
目の病気も、何もかも母のせい
私には目の病があります。それも母のせい。責任を全て母のせいにして自分を責めないようにしていたのです。
そして、心の奥では「母が悪いわけではない」とかすかにですが、わかっているんですね。わかっているのに、母を責めている、この自分の中の矛盾にとても苦しんでいました。それに気づくのもずっとずっと後のことです。
そんな被害者意識でいたため、夫との間でも不穏な空気が流れ始めました。私のお決まりの文句「夫のせい」。同じ屋根の下に暮らしながら2年間、顔を合わせないというお互い忍者のような生活をしていたのです。もちろん、我が家は広い豪邸などではありません。
当然のように夫から「もうこんな生活はやめて、離婚したい」の一言。夫婦関係は最悪なところまでいきました。
私はあなたの居場所になりたい!
そんな私の心をかえて救ってくれたのは、カウンセリングサービスのカウンセラーさんでした。良いことも悪いことも全て受け止めてくれるというわけではなく、時に厳しく、でもその中にとても大きな愛を感じたんです。
カウンセリングサービスの母体となるカウンセラー養成コースの神戸メンタルサービスに入ったのは、一番お世話になったカウンセラーさんのそばにいたいと純粋に思ったからなのですね。
依存的で密な関係ではありませんでしたが、いつも遠くから見守ってくれているような安心感がありました。
心に安心感という場所ができると、心は成長するんだと実感したのです。
それから、母を理解し許し、自分自身も許していきました。離婚も回避できました。
私は年齢も重ねていたで、頑張って最短でプロカウンセラーになりました。今もその方は存在自体が私の心の居場所になってくださっています。
次は私があなたの居場所になりたい!そう心から思っています。
略歴
1969年名古屋市生まれ
地元の短大を卒業後、証券会社に入社
1992年 結婚
1994年 長男誕生後まもなく、夫の仕事の関係で海外生活となる
1997年 帰国
2007年から2013年 名古屋市内の心療内科に勤務
2013年 関東に転居
家族 夫は北海道に単身赴任中、息子は高校教師