
カウンセリングサービスの成宮千織です。いつもありがとうございます。
子どものころ、よく絵本を読んでいました。そのころからなぜこの人はこうなんだろう?どうしてこんなことをしたのだろう?と疑問を持ちながらも、幼い私には登場人物たちの心理まで読み解くことはできませんでした。
なぜそうなるか?そうなるには、わけがあるのです。
白雪姫を読んでいたとき、なぜ継母は白雪姫に毒リンゴを食べさせたんだろう?と思ったことがありました。毒というだけで恐ろしく、それだけで怖くなったものでした。
「この世で一番美しいのは誰?」
白雪姫の継母は、毎日、魔法の鏡にこう尋ねました。「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」鏡は、「あなたです」と答えてくれていました。
ところが、白雪姫が成長すると、答えが変わります。「一番美しいのは、白雪姫です」それを聞いた継母は、白雪姫を憎むようになります。
でも、ちょっと不思議なのです。白雪姫が美しくなっただけで、継母自身の美しさが消えたわけではないのです。それなのに、どうして殺そうと思うほど、白雪姫のことが憎くなったのでしょうか。
実は、童話の「白雪姫」には、そんな人間の心がとてもわかりやすく描かれています。
人は「自分の価値」を、比較で決めてしまうことがある
私たちも似たことをします。「あの人のほうが若い」「あの人のほうが幸せそう」「あの人のほうが裕福そう」
いつの間にか、「人より上か、下か」で自分の価値を決めてしまうことがあります。心理学では、これを「社会的比較」といいます。自分の価値や位置が人と比較して、どれくらいなのかを確かめようとするのです。
そして、実際にあの人が若くても、幸せでも裕福であったとしても、自分の価値が下がるわけではないのです。人と比べなければ、私たちはもっと自由で楽に生きられると思うのですよね。それでも私たちの心は比べてしまうのです。
継母も白雪姫と比べて、自分よりも白雪姫が美しいということが許せなかったのです。自分の価値が下がってしまった。だから白雪姫を殺してしまえば、また自分の価値を取り戻すことができると思ったのかもしれません。
これは「嫉妬」でもありますが、自己価値がなくなるという継母の強い「恐れ」だったのではないかと思います。
「嫌い」の奥に、本当の気持ちが隠れている
「あの人が嫌い」「憎い」と思ったとき、その奥には、「私もあんなふうになりたい」という気持ちが隠れていることがあります。
愛されている人を見て腹が立つ。でも本当は、「私も愛されたかった」のかもしれない。自由に生きている人を見てイライラする。でも本当は、「私も自由になりたい」のかもしれない。
だから、嫉妬って、ただのネガティブな感情ではないんです。「私は、本当は何が欲しいの?」と自分が教えてくれるサインかもしれません。
「私は、本当はどうなりたい?」
誰かを見て嫉妬したときに、「こんなことを思う私はダメだ」と、自分を責めなくてもいいのです。
ただちょっと立ち止まって「私は、この人の何が羨ましいの?」と考えてみる。そして、「私は、本当はどうなりたい?」
と、自分に聞いてみる。
すると、「嫌い」という感情だけではなく、「もっと愛されたい」「自由になりたい」「お金が欲しい」そんな、自分の本当の願いが出てくることがあります。
白雪姫は、継母の価値を奪っていない
白雪姫が美しかったからといって、継母の美しさ(価値)がなくなったわけではありません。これは、私たちにもいえることです。
誰かの人生と、自分の人生は別のものですし、本当は比べなくてもいいのです。競争しなくてもいい。誰かに勝たなくても、自分の人生を大切にすればいい。
もしかすると、「あの人が嫌い」という気持ちの中には、まだ自分でも気づいていない、「私も○○になりたい」という願いが隠れているのかもしれません。
童話は、子どものためだけの物語ではないといいます。大人になった今だからこそ、その物語の中にある「自分の心」に気づくことがあるのです。


